【心に残る一杯の話】
【心に残る一杯の話】
誰にでも心に残る一杯はあるのではないかと思います。ふとたまに思い出す一杯の思い出。今回はお酒ではない一杯のお話しです。
時は2001年、イスラエル・カファマサリクの夏の思い出。私は38時間にも及ぶであろう、日本からの長旅に疲れ果て、乾いた土埃で顔も真っ黒にしながら、ようやくそこに辿り着いた。
テルアビブ空港で偶然出会って、ここまで一緒に来た南アフリカの女の子は、あまり疲れを見せていない、、、
一通りのここでのボランティアとしての生活の流れの説明を受け、私の生活する部屋に案内され、一息ついた頃には外はもう暗くなり始めていた。
【ボランティア食堂にて】
今夜は、2人の新しいボランティアが迎え入れられると言う事で、ボランティア食堂には10人程の他のボランティア達が集まっていた。ニューフェイスの1人は南アフリカから、もう1人は珍しい日本から来た私でした。
見慣れないアジア人に好奇の視線が寄せられるボランティア食堂にて、皆思い思いにコーヒーを飲んだり、何かを食べていたりする。朝と昼と土曜日の夜だけは大食堂が開いているが、晩ご飯は基本的に、このボランティア食堂で自分で作るようだ。
てっきり歓迎会でもしてくれるのかと思い期待していたが、どうやらそうではないようだった。
ボランティア食堂の夜は、完全に個人主義であり、基本的に自分の為にコーヒーを淹れ、トーストを焼く。みんなで楽しく毎晩パーティーは、ここでは行われていないようだ。
【長い長い道のりの果ての一杯に】
自分の名前以外、ろくに返事もできない青年への好奇の注目はおよそ5分で終わり、後は南アフリカの彼女へ注がれる事になる。彼女の英語は流暢で明るくて魅力的だった。
彼女は、直ぐにみんなと打ち解けて仲良くなるのに反比例して青年は孤立してゆく。
やがて細やかなニューフェイスとの顔合わせは終わり、部屋から1人、また1人と出てゆく。
日本から機内食以外の食事を、まともに口にしていなかった。テルアビブに着いてから、もう8時間近く経っている。20代前半の男子の空腹は限界を迎えていた。大食堂の朝食は明日の6時からだと言う。
まだ朝まで何時間もある。
大袈裟ではなく意識が薄れる様な気持ちになる、、、
、、、Masa、、Masa!
ふとそんな私を呼ぶ声に我に帰ると、チェコ出身のアンディが珈琲を淹れている。彼は話せない僕にも好意的に接してくれていた。彼は私にこう言ってくれた。「長旅疲れ様。一緒にカフェオレでも飲もうよ。」
追記
久しぶりに思い出して、機会があったらイスラエルの思い出の長編も書いてみたいと思った矢先、現在ののコロナが始まり、飲食は自粛を余儀なくされました。
そんな折に、たまたまこの時間を生かして書いてみないかとの誘いがあり、
『新聞新発見メディア「つなぎ」』さんにて、
《お酒部門》
【人生はプース・カフェ Barに集えば…】
《イスラエルの夏2001 》
として書かせて頂く機会をいただきました。
そちらも良かったらのご覧ください。
https://www.tsunagi-media.jp/blog/sake
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