【すんべか?】
【すんべか?】
「いく準備すんべか?」
朝ごはんを終え、私から、ふと出た言葉が面白かった様子で、息子が連呼する。
「いく準備すんべか?」
「いく準備すんべか?」
1度目のすんべか?は、しようか?の意味を持ち、
2度目のすんべか?は、そうしようか?のニュアンスを持つので、
「いく準備すんべか?」は、「しようか?」「そうしようか。」と何度もループする事が出来る。
東京に長く住む事で、地域の言い回しをする事がとても減ったし、社会人として、人と話している時は、丁寧に標準語を使う事が多く習慣化していく。
基本的に、出身の三浦半島の言葉も、恐らく敬語を使う時は標準語に近いはずで、そうじゃ無い時に、地元言語が使われる。
なので家で無防備に、無意識に、息子に話しかける時に、よくそんな言葉がでて、おかしな笑いが起きる事があるのだ。
【習慣】
マスクをするかしないかは、個人の判断にまかせます。と言われても、街のあまり変化のない様子を、珍しく、たまたまつけたテレビで目にする。
桜の開花が記録的な早さで宣言されるとか、されないとか。
マスクも何となくして来たけど、既にそれは習慣化しているし、人々の意識はゆるくなっている様で、とっくに、ある程度個人の判断に任せられていた様に思っていたので、敢えて日付を決められ、明日から個人判断みたいに言われても、何も感じない。
花粉もすごい様なので、コロナじゃなくてもこの時期はマスクの人は多かったはず。
嫌だと言いながらも、玄関を出る時には無意識にチェックする様になっているマスクを。
嫌だと言っても、花粉症や風邪の時にはつける習慣のある私たちを。
する、しないは自身の習慣と無意識であって、市民とかけ離れた感覚を持つ人の判断にコントロールされたり、任せられたりするものでも無い。
【春また、訪れ】
早く咲いた桜は、同じ様に早く満開を迎える様で、最近は入学シーズンでは無く、その少し前の卒業のシーズンに多くの桜が咲き乱れる。
皆そんな、多少のずれも気にせずに、意識的に、または無意識に写真を撮ってネットにあげるので、SNSには多くの桜の#(ハッシュタグ)が付けられて、その数は1000万を軽く超える。
春は新しい事の始まりの季節の様に感じるけれど、いつも必ずしも、誰にも新しい何かが訪れている訳では無い。それでも、春はまた、訪れ、冬に蓄えた蕾を咲かせる。
明るさと共に、暖かさを感じる事のできる様になった、この時期の日差しに。
夕方でも、少し前より、
窓からの少し明るいままの景色に。
春だから眠いとか。
コロナで運動不足だとか。
疲れが取れづらいとか。
もう歳だとか。
いろいろに、事情がある。
それぞれに、動き出すタイミングがある。
夕方から動き出す、バーテンダーの支度。
その前の時間で運動を再開しないと、と少しだけリハビリ的にウォーキングをする。
帰って窓の方に頭を向けて、仰向けになる。
逆さに見える、「空の、夕暮れの、春。」
まだ少し明るい。
「さあ、そろそろ、いく準備すんべか。」
言葉が独り咲く。