【いつもそこにあるもの】
【いつもそこにあるもの】
8年程前からほとんど毎日通っている八百屋さんがある。
滅多にない事なのだが、私が緊張感が無さすぎるせいか、フルーツを選んだ後に、支払いをしようとして、お金が全く財布に入っていなくて、いわゆるツケ。にして貰う事が、この8年で2回くらいあった。
2月の初めの土曜日に、それをまたやってしまった。お会計は1300円だったが、お金が入っていない財布を開いてガッカリする。70歳過ぎた八百屋さんの店主は、快く次回で良いですよと言ってくれるが、そう言う事を本当はしたくない。
とは言え、グレープフルーツやレモンが無いと仕事にならない。
やむを得ず言葉に甘えて、次回という事にしてもらう。直ぐにスマホのメモに金額を記入する。
「八百屋さん1300円。」
日曜日は、お互いにお休みなので、1日挟んでその日も支払いがてら買出しに行くと、木製の扉にステンレス製の板を打ち付けてある扉は閉まったままだった。
「1週間お休みします。」と、2/6の日付と共に張り紙がされていた。
嫌な予感がする。
今までこんな事一度もなかった。
1週間後に行くと、お休みがもう1週間延長された事を告げる張り紙が貼られていた。
【グレープフルーツ】
グレープフルーツが買えなくなった。
大手スーパーでは、市場での仕入れ金額が高くなったグレープフルーツを仕入れないのか、極端に品薄だったり、そんなに質の良く無いものが普段の倍くらいの値段だったりで売られていた。
わざわざ途中でバスを降りたり、スーパーまで歩いて行ったり、それでも今まで、そこにあったものに、手が届かなくなると、突然自信を失う。ストレスを感じる。当たり前の様に出来ていた事が、手のひらからこぼれ落ちて行く様な気持ちに、少し大袈裟だと思いながら、それでもそんな気持ちになる。
こういう時に、フレッシュフルーツを使うからこそ出来る、味の差や香りの違いを、自分の腕だと思い込んでいた自分に絶望する。売ってるジュースでは作れないのだ。
まだ、休んでいるはずで、いつもより暗くなった八百屋さんを、交差点を挟んで遠目から見て通り過ぎる。
ふと、足を止める。
ふと、足を止めた時は、引き返すと決めている。
正面に付かなくても、八百屋さんはまだ閉まっている事はわかったが、それでも正面まで行くと、閉まっていた扉が半分開いている。
思わず「こんばんは。」と大きめに声を出しながら、奥に勝手に入っていく。八百屋さんが奥で休んでいる時は,いつもそうしていた様に、何度か「こんばんは。」と声をかける。
反応は聞こえない。
が、しばらくすると、
奥から八百屋さんの変わらない声が聞こえた。
普段つかない杖を突いて出て来た時は、少し驚いたが、足の親指の骨を市場で折ってしまったと言う。
大変な怪我だけど、それ以上の事態ではなかった事に安堵を感じながら、グレープフルーツの入ったビニール袋をぶら下げて、この10年通った道をいつもの様に歩行く。
その道のりを強く踏み締めて確かめる。
【粉雪】
よく言う、人は、失って初めてその大切さを知る。
友達や、親や、家族や、恋人や、地位や,財産や、
地元や、海や、自然や、電気や、水や、空気や、
そんな隣人や、ポストや。
行きつけの店や、好きだけど行ってなかった店や。
よく、そうやって、「失って初めて気づく。」、みたいなステレオタイプなマウントとった風で話す人の浅はかさを心の中で苦笑しながら、、、
いつか全てがそうなる時間の流れを日々感じる。
よく、明日最後なら何を食べる?と言う質問が有るけど、あれはクダらないと言いながら、それが脈々と世界中で生きているのは、たぶん、その答えをする自分は、一体何歳の時だろうと想像するから。
サブリミナル効果みたいなものが発生するからなんじゃなかろうか。
私は若い頃は、(お寿司の)マグロ!
と言っていたが、それは今食べたいもので、死ぬ頃はマグロじゃなくて納豆ご飯じゃなかろうかと、しばらく考えて思った。
突然大地震が起きたり、同時多発テロが起きたり、侵略戦争が起きたりする。
南極の氷が溶けたり、ハリケーンが来たり、平均気温が何度か上がったりする。
インフルエンザがあり、新型のコロナがあり、鳥インフルエンザがオットセイに感染するという。
ししゃもや、秋刀魚が減って高くなる。
去年のフロリダのハリケーンによってグレープフルーツは大打撃。
フォークリフトがバックをして来て、それを背後からぶつけられた八百屋さんは、足の小指を折ったけど、腰や膝をやらなくて良かった。
まだ店は開けられないけど、扉はあけとくし、市場にはリハビリ兼ねて行くから、必要な物があれば言ってくださいと言ってくれる八百屋さんにプレッシャーをかけたく無いと、なんとかなってますからと、ここまでの、スーパーでの困難や、いままで、「いつもそこにあるもの」への感謝も敢えて言わずに、代わりに、もしあったら、「グレープフルーツを」とだけ言った。
「あれ、雪だよ!」と八百屋さん。
「あ、本当だ。降ってますね。」と私。
車のヘッドライトに反射して可視化する、暗闇では見えないほどの小さな粉雪が、今年最後の雪だと継げる様に、細かく、でも大きく円を描きながら舞っていた。
足したら120歳になりそうな、男性2人が、「いつもそこにある」、いつもの季節や天候を話す。
私がいつもの様に「ありがとうございます。」といい、
八百屋さんが「はい、どうも。」という。
そんな世間話をして今日も別れた。