【 #キブツ #イスラエル #ボランティア 】
【 #キブツ #イスラエル #ボランティア 】
「だいぶ、楽になったな。」口から思わず出かかって、己を恥じて、筆を執る。
「オレの時代は」もっと不便だった。自分でもっと試行錯誤して、退屈や寂しさを乗り越えたりしたもんだ。
スマホなんてとんでもない。などと言って、20年間で変化した現在の世界を、「新しい世界」と。20年前をあたかも「本来あるべき世界」であるかの様に語る。
あ、こう言う思考を「◯害」とか言ったりするのかな。これは、実年齢や、育った文化、文明で判断するものでなく、自分の経験や価値観を、あたかも世界の中心であるかの様に押し付ける人の事。
まさに、その「思考回路」の生み出す迷惑行為なのかなと、気付く。
そんな事を思ったのは、大昔に旅をした、とある海外の施設の「今」を見た時の事。随分と綺麗になってしまったその写真に、水しか出なかったシャワーの事を誇らしく思っていた私の記憶が、発作的に嫉妬に変わった為だった。
つい先日、1人の青年がイスラエルへと旅立った。
『キブツ』と言うコミュニティは、イスラエルの各地に200箇所ほど点在し、各キブツに400人程度の人が暮らしている。
これは私が、『キブツ』にいた2001年の時の記憶だ。
『キブツ』の人達は、大抵大きな農園を集団で営んでいる。キブツエリア内には、大食堂、グラウンド、プール、カフェ、バーなどがあり、およそ100程の家族と、僕ら10人程の海外からのボランティアが共に暮らしている。
キブツとしてのメインの収入源は、農園でグレープフルーツやアボカドを育てて出荷する事だ。
それに加えて、キブツの人々の生活を支えるインフラのメインとして、大食堂があり、そこでの皿洗いや、調理補助、ダイニングルームの清掃などの仕事の一部を我々海外のボランティアが請負う。その代わりに、そこでの衣食住の提供を無料で受ける。
ざっくり言うと、キブツのボランティアは、その様にして存在している。
言語のメインはヘブライ語。第2言語の英語が各国のボランティア達にとっての日常言語となる。
そんなイスラエルの『キブツ』に、先日、1人の青年が旅たった。
約1年程前に、いつものBARのカウンターで私が体験談を彼に話したのがキッカケだった。
話すけど、決して行く様に促したりはしない。とても素敵だけど、それだけではない。
何故ならその国はいつも晴れた青空で、その国はいつもどこかがテロの惨劇の場となる。そういう国だった。
【#ブラウン管 #LINE #精神と時の部屋 】
1台のブラウン管テレビと、1台のデスクトップ型PCが、当時の情報授受のインフラだった。その情報処理能力は、今のスマホの1/1000程か。それを10人程でシェアしていた。
時差マイナス6時間。リアルタイムでLINEが届く。「今からヘブライ語教室行ってきます。」「アメリカ人が日本のアニメ見てる。」「飯、美味いです!」
今は昔、「精神と時の部屋」と言うものありけり。漫画のワンシーンで使われた後、万の事に使いけり。
その「部屋」での時の流れは、とてもとても濃厚で、例えば現実世界での1時間が、その部屋では1ヶ月に相当したりして、漫画では主人公が、敵の襲来に備えて修行する最終手段として使われた。
時々、私はイスラエルでの4ヶ月を、あれはまさに「精神と時の部屋」だったと表現する。その4ヶ月は、私にとって日本で20年くらい過ごした位、もしくは経験できない様な人生経験をしたと思っている。
※じゃあ、あなたの精神年齢は推定65歳なのですね?と言うツッコミは御遠慮願います。
(満45歳・夏)
日本とはずいぶん違う国際情勢の国だからこそ、得られた経験と、当然それに伴うリスクもある。私は、そこでの経験を話した事はあるが、誰かに行く事を勧めた事は一度も無い。勧められて行く場所ではなかったと思う。
20年の時代の変化を超えて、世代の壁を超えて、イスラエル・キブツに行く彼が羨ましくて、かつての自分と半分重なり、「オレの時代はさ、、、」と、言いそうになり鬱陶しさを感じる。
【#行って来ます #いってらっしゃい #友達 】
どんなに、便利になっていても、それはたった何年かで起きて来た変化で、根本的にはイスラエルとして大きな差はないはずで、既に1000年以上この地で続く争いを、デバイスの進化で終わらせるには、余りにそれは物足りない。
彼は、旅立つ前によく、どうしてイスラエルに行くのかと聞かれていた。彼の答えは出発が近づくに連れて変わっていき、やがてあえてより曖昧になっていく様に感じた。
それは逆の流れに見えるが、そんな事はない。曖昧になる事が正常だ。
初めは英語を身につけたいとか、海外生活をしてみたかったとか。
やがて、出国が近づき、現実性を帯びてくると、彼の地で経験できる何かを経験する為に行ってくる。と言う「曖昧な最適解」に至る。
何しに?なんて言うけれど、目的なんて本当はなくて、何があるかなんて、分かってなくて、でも行きたい気持ちがそこにある。それだけがそこに行く理由なはずだ。
彼に少しずつ飛び立つ覚悟が生まれて行くのが見えた。世界は広がり、可能性は無制限。そう言う経験をしに行く自覚。
イスラエル南部、ヨバタ。
平和で楽しそうに見えるその写真やコメントの中に、今までと大きく違う生活があり、今までと違う危機感があり、生まれ育った故郷と大きく違った異国がそこにあり、それは実際に行った者にしか経験する事の出来ない、特別な時間となる。
それが、綺麗な言葉で、誰にもわかる様に説明されるには、まだ少し時間がかかるかも知れない。
何よりまだ、彼はその地に辿り着いたばかりだ。これから何ヶ月もそこで過ごし、経験して、馴染んでいく。
そこには、何世紀も変わらぬ景色があり、一世代前と違った世界があり、彼の目で見た世界がある。私があの時、見て来た世界。彼の地イスラエルで、彼はまた、違う視点でそれを見つめ、違う思考で進み、違う経験を得て帰ってくるのだろう。
彼は自らの覚悟もって「精神と時の部屋」なる彼の地へ向かった。旅立ちの直前、私は、「何があっても、最後まであきらめないで。」と、曖昧なアドバイスをした。
それが、本気のアドバイスだと彼は察した。
その後、彼から「行って来ます。」と空港からLINEが来た。
「いってらっしゃい。」と心の中でだけ答えて、スマホのディスプレイをoffにし、顔を上げた。
そんな、
まだ、始まったばかりの旅に幸ある一杯を、彼とその地で出来る友人に。
ふるさとのBARのマスターより。