【ひとはなぜ。】





【ひとはなぜ。】




「ひとはなぜ、外でビールを飲むのが好きなのか。」




「ひとはなぜ、温泉で飲むお酒を美味しく感じるのか。」




「私はそんな研究をしています。」




と言って、旅先でお酒を飲む言い訳にしています。




また、その研究の為の、実地研修に行って来ます。と言っては、東京から比較的ちかい温泉地に1泊2日の小旅行に出かけます。










新幹線に乗る前に、お弁当を選ぶ。そこに缶ビールを2本添える。この研修の第一必修課題である。




座席の折りたたみ式のテーブルを開いて、お弁当とビールを用意する。これを「1人宴会セット」と呼ぶ。朝から少し重めに、お寿司や焼肉系のお弁当を選んでしまう傾向にあり、2缶目のビールが空く頃には心地よい眠気におそわれる。





ウトウトしていると、まもなく到着のアナウンスが流れる。弁当、ビールの空きゴミを出来るだけ分別する。それを備え付けのゴミ箱に押し込んで。





「1人宴会」を締めくくる。













【男女の友情と。】









「人生最後に食べるものは?」と言う質問と共に定番で聞かれるのは、









「男女の友情ってあると思いますか?」だ。





あえて、「男女の」とつけると言う事は、「男と男の」「女と女の」、「友情」は成立すると言う前提なのだろうか。





そして、往々にしてこの質問をする、質問者は、その「友情」が「裏切られた」と感じている事が多い。成立している場合には、あまり質問に上がらない。













さて、「友情」とは何であろうか?





尊敬、尊重、敬意、好意、信頼、信用。

いざと言う時に、見捨てずに助けてくれる人。

いざと言う時に、助けに行く相手。





親友、悪友、幼馴染み、仕事仲間、相談相手、旅行友達、飲み友達。

恋愛相談、結婚相談、人生相談、、





などなどの、周辺言語を自由に使って、貴方にとっての「友情」を「男女の」を付けて論じて下さい。





とか。





そもそも、「男女の」と言う言葉は、この場合「異性間の」という意味なのだろうが、その「友情」が成立しない事例とは、何の事を言うのだろうか?





言葉遊びとしては、





「男女の友情」

「男女の関係」





「異性間の友情」

「異性関係」





それぞれに意味の違いはあるが、これらが必ずしも対義語になると言うには、前提定義が不十分だ。





あえて、具体例をあげないまま、ひとつの結論のような物を出してみる。言葉をひとつづつ、分解して幅広く捉えた上で、もう1度結合して、言ってみる。









「男女の友情ってあると思いますか?」





目の前で起こる、自分の不満を語る際と、

言葉を分解して、俯瞰でみて語る際と、





同じ人の答えでも、大分、答えに違いが出て来るのではないだろうか。













澄み切った空気の山々を見に行くと、しばしば雨上がりに美しい虹を目にする事がある。それは旅先でよく空を見上げているからなのだと思う。





ご当地のワンカップに、その美しい風景がよく似合う。









多くの問いに対しての、答えは、

そんな美しい虹のようで、見る人のそれぞれの「場所」から少しづつ違った「グラデーション」として見えている。





そんな風にそれぞれに見えたらいいと思う。





今年の秋の紅葉は、いつかの紅葉よりも色づきが良く、山肌の立体が目で追えなくなるほどに、美しくコントラストをモザイク画の様にして、私達を迎え入れてくれていた。

















余談ではあるが、最初の質問。





「人生最後に食べるものは?」





についての、私の答えは、20年ほど前は、迷わず「寿司!」だったが、やがて「焼肉。」にかわり、今は「納豆ごはん」から「おにぎり」と偏ったグラデーションを描いている。

















【研修報告 : 雫ひとつ】









東京から近いのに、山に登ると空気も景色も変わって。多くのカラスの鳴き声さえ、自然の豊かさに感じられる。





空に,森に、風に癒され、

お酒、お風呂、お料理を堪能して。





幽体離脱しそうになりました。









この山で、夕暮れや朝方は、烏が2羽3羽と交互に鳴いて、日の幕の上げ下ろしの一役を担う。それを見て私は何とも情緒に溢れた、営みを感じるが、おそらくここでは何千年もただシナリオもなく、当たり前に繰り返されてきている現象だ。





見た事もない美しい、透明な命の源となる、朝日がのぼり、山際に流れ行く雲はその早さを増す。しかしこれもまた、何億年も前から、何の意味もなくただ繰り返されてきた、現象で、東から昇り西に沈む,宇宙が目視できる夜か開き、やがてまた東から絶対神が昇ってくる。この1回りをこの星の1日とする。





私はただ、湯に浮かぶ。殆ど無重力の意識の先に、山からの風を感じる足先が、湯船の淵に一対、不格好の訳あり品の様に引っかかっている。





俯瞰でミタラ、中年男の放送禁止の裸体が、盥(たらい)に浮かぶ地獄絵図。





閉じた目が、その裸体から離脱して、この盥という宇宙と一体になる。



木水路(もくすいろ)より滴る温水の音。立ち上がる湯けむり。

一定のリズムを刻む虫の音と、滴る湯の不規則さ。



子供の頃、熱したお湯と、冷やした水、スプーンでかき混ぜた時の、音が違う事がとても不思議だった。しかしいつも音が違っていた。



それは、温度で粘度が変わるから、音の伝達が変わるという理由だと、大人になって知った。





久しぶりに箱根に来ると、改めて癒される。時間が止まった様な場所が幾つもある。



山の上には、目線の近くで雲が流れ、重なる部分に風が見える。空はいつもより青が濃くて、成層圏まで透き通っている。



遠くでなく鳥の鳴き声も、遮るものが無いので鮮明に聴こえる。





温泉から立ち上った湯けむりが、粒となって天井に溜まり、やがて「雫ひとつ」となって、落ちてくる水面。





「ああ、今日もお酒がうまい。」



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