【昔は雨が嫌いだった】
【昔は雨が嫌いだった】
私は、雨が嫌いだった。寒いのも嫌いだった。
子供の頃はそんな事なくて、雨も寒いのも嫌いではなかった気がする。雨は雨で、なんか楽しい気持ちになったり、寒い時は、雪が降る事を期待したりした。
雨が嫌いになったのは、思春期過ぎてからか。
セットした髪が、「ペタ。クリン。」となってしまう事が1番の理由だったと思う。
あとは「今日傘もってきてないし。。」だ。
寒さに関しては、1番は夏の暑さとのギャップだった。海が好きで、どんなに暑い夏でも大好きだった。ギラギラと照りつける太陽が大好きで、ついつい裸眼で直視した。
その反対に冬は陽が短く、その寒さとあいまって寂しさが服の隙間から染み込んでくる様だった。
ヒートテックの登場、そしてその出会いがその隙間を埋めてくれた。
服の選び方もよく分からず、「モコモコ」するのも嫌いで、シャツ一枚の上に薄いコートを着ていた私は、冬、いつも寒かった。
この出会いによって私は、冬の寒さに寄り添い楽しむ余裕が生まれていったのだった。
「ペタン、クリン。」の件は、ただ単に歳と共に気にしなくなって来た事、また職場にもドライヤーを置く事で解決し、突然の雨は、街の汚れを洗い流してくれている様に感じた。
【少しずつ変わって行く自分、変われる事】
年齢と共になのか、意識の問題なのか、もしくは両方の理由と、プラスアルファなのか。
昔、頑なに「こうあるべき。」と思っていた事を、あまりに容易に、あまりに柔軟に、変えられる様になっている自分に気づく時がある。
よく「私はこういう人間だから。」とか、「ずっとやってきた癖だから。」といって、もう私は変われませんと言う理由にする人がいるけれど、常に、その価値観や、環境が変化し続ける昨今、人もシステムもアップデートが求められる。
もちろん、 置き去りにする社会は良くないけれど、確実に流れはあって感じられる。
雨や寒さが嫌いだった若かりし時の私。
よくよく、自分と向かい合ってみると、それは自分自身の問題で、実質的に空から降る水や、冷やされた空気が嫌だったわけではない事に気づく。
【世界はあなたの脳によって存在しているから】
「東京に人が増えた。」
と、東京に来て約10年間のシフト制の仕事から解放された時に思った。
日曜日の固定休みになった私は、「東京に人が増えた」と錯覚したのだ。日曜日しか、街に出なくなったから。
休みの日の東京はどこに行っても人が多い。シフト制で日曜日休む事がほぼ無かった私が、その事に気がつくまでに、何と半年ほどもかかったのだ。
夏だけ趣味程度にやっていたサーフィンも、寒いとやらなくなるので、年の1/4しかやる事ができなかった。
厚手のウェットスーツを仕立てたら、年の半分は少なくとも海に入れる様になった。
寒い冬の日には、厚手のヒートテックを上下に来て、パーカーにパンツ、ニット帽を被れば、外にジョギングに行く寒さのストレスはほぼ無くなり、むしろ動けばポカポカする快適な時間を過ごすきっかけとなった。
勘違いや、ふとした出会いや、きっかけが、苦手な思いや、嫌いだと思うイメージをすっかり変えてしまう事がある。
すっかり変えてしまう事ができる。
起きてる現実は変えられないけど、どう感じるかはあなたの脳で変えられる。
好きな様に思い込める。
自分の好きな世界が広がる。
「昔は雨が嫌いだった」けれど、髪の乱れはドライヤーで解決し、ちょっと好きな傘を買うと、ポツポツとその上で跳ねる水音が心地よく感じた。
暑い日の突然の豪雨も、時には良い「打ち水」となり、風と共に涼をもたらす。
今はそんな日々を送っている。