【一周まわって。】
【一周まわって。】
人の生活には、波がある。
良い時もあれば悪い時もある。
良いも悪いもないのかも。
いっ時は「理想」を夢見て高みを目指し、より一層の豊かな価値観に触れる経験を渇望する時もある。
でも人生は時に、「一周まわって。」と言いたくなる、大きな変化が起きる。それは再び回ってやってくる。
開業して間も無く、12年。
干支が一周回って、また辰年に。12年前は、いっぱいいっぱい過ぎて、その年が何どしだったかも覚えていない。。
単身、東京に出て来た時、開業した時、そんなタイミングで触れる人々の日常生活。その一部のお話を伺ったり、例えばお食事に連れて行って頂いたり。
そんな経験の度に、こんなに豊かな生活をしている人がいるのだなぁと。憧れたものだった。
自分の生まれ育った環境、今ここにいる事や、その日常という「現実」。
山手線でも安めの繁華街に住んだ時、チェーンのハンバーガー屋さん、牛丼屋さん、ラーメン屋さん、立ち食いの安いお寿司屋さんや定食屋さんが駅からアパートへの帰り道に立ち並び、ここは楽園かと思ったものだ。
ラーメンを食べる為に、友人と車に乗り込み、片道30分走らなくても良い日常。
ネオンの街、ビルの谷間。東京砂漠。眠らない街。
「長渕剛」や、「くるり」が頭の中をグルグル回ったあと、
「ダイアモンドだねー!」と、流れてくる。
こんな贅沢は東京でしか味わえないと、自分の生活を誇りに思った頃、東京ではこれが贅沢な生活ではない事を知る。
東京の人生の先輩方に、何度か連れて行ってもらった食事も、大人3〜4人で何万円もする。それを、気軽に「今度ご飯でもいこうよ。」と言ってくれた人が、さらりと済ませるワンチェック。
やれやれ、まだまだ先このは長そうだぞ。。
と、ウンザリしながら、券売機のお釣りを、タイトなポケットにねじ込む。
【嘘だろ。と、】
歳をとると、美味しいものを、ほんの少しだけ食べられたら、それで満足するの。
と、経験談を聞く。
例えば焼肉屋に行ったら、エイゴの和牛のシャトーブリアンなんかは、一切れ食べればもう満足だと。
若い頃は、「へー、そう言うものですかね。」と相槌を打ったが、心の中では「そんなの嘘だ!」と叫んでいた。エイゴのシャトーブリアンが何かよく分からなかったが、とにかく焼肉屋に行ったら、お腹いっぱい肉を食べたかった。お腹いっぱい食べれないなら、行きたくなかった、だったら牛丼の大盛りと玉子で良かった。
焼肉屋に行って、ほんの一口なんて、むしろ苦行でしか無い。と思って、焼肉屋には行かなかった。お腹いっぱい食べるには、都内の焼肉屋さんは、ハードルが高かった。
英語があるなら、オージービーフは、オーストラリア語?いやオーストラリアも英語か。そもそも、エイゴと言いながら、和牛なのだから、日本語では??ん?A5?紙のサイズか、、いや、大きすぎる。。
シャトーブリアンは、シャトーがつくからワイナリーの名前?このお肉には、このワイン的な??10年後くらいに流行るペアリング的な事を先んじて想像し、妄想に終わる。
「もう嘘」に終わる。
ファミレスではない洋食は、イタリアンとかフレンチとか言うし、「ちょっと気の利いた。」と言う,お寿司屋さんは回らない。私と同じ「角」の着く焼肉屋さんはギリギリ行けたけど、それ以外はまだまだ先の話。
こんな、高嶺に咲くお店達の存在は知っていたし、回らないお寿司や、個人経営の焼肉屋さんは地元にもあったけど、それは何年かに1回行く程度。
いつも聞くと、そんな「高嶺の花」を摘んできましたという方ばかりが目立って見えて、「ホントかよ。」「嘘でしょ。」と心の中で思いつつ、別の世界の人と普通の人がいるのが、都会なのだと、だんだんと分かってくる。
それは今も変わらない。知るほどに、東京の人達の格差は大きく、多分その先にもっと知らない格差があって、それがニューヨークとかロサンゼルスとかドバイとかに行くと更にスケールが大きくなるのだろう。
イスラエルにボランティアに行って少しだけ英語が話せるようになったのに、東京には別のエイゴがあって、そこに届かない三十路前のボクがいた。
「嘘だろ。」と、東京の空を仰いだ。
【フライドポテトと立ち飲みと。】
「あそこのチェーン中華は、中華なのに、フライドポテトあるんだよ!」
「マジすか?」
「うん、あと生ビールメガジョッキ!!」
「マジすか?最高すね。」
「ビールと餃子とフライドポテトで1000円ちょっと!やばくね?」
「やばいす!、それ最高!」
25年前の横須賀での私の会話では無い。
これは、ほんの2週間前の東京都目黒区での会話だ。
※25年前の横須賀のだと、
最後は「それ最高すね!」となる。
最近、都内では、イケてる立ち飲み屋さんがオープンするのをよく目にする。
せんべろからの、ネオ居酒屋へ、そして次は立ち飲みブームか??
昔からのホッピー横丁や、新宿ゴールデン街も、野毛の地下街も、昔は地元のおやっさんたちが、夕方から「ベロベロ」になるまで飲んだくれ、「クダを巻き」、「千鳥足」で夜のとばりに消えてゆく。
そんな「昭和のステレオタイプ」だったのかな?
当時なら、そんな姿に嫌気をさして、テレビや雑誌に映る、華やかな欧米と比べてみたりして。
今や「一周まわって。」、若者や外国人が、スマホ片手に、そんな姿をSNSにアップする時代。
貧乏くさい立ち飲みなんかじゃなくて、ナイフとフォークを外側から丁寧に使って、他の人の仕草を盗み見ながら真似をして、お皿の上の王冠の形のナプキンを、勿体無いといいながら、恐る恐る膝にかけ、お皿の真ん中の小さな物を嗜んだ。
店をでたら、それを誰かに誇らしげに自慢した。
そんな時代は「一周まわって。」。
そんな私も、背伸びをし、ひと通り、焼肉やら、鉄板焼きやら、本格中華やら、イタリアンやら、フレンチやら。。
ペアリングのワインを頂きながら。
40代になって初めて、独り寿司屋の大将と向かい合う。1人と告げると、「そうですか。」と、返事が帰ってくる。
酒と肴。
鮮度の良い、太った鰯が、港町横須賀の、朝どれの魚達を思い出させる。
そうやって年を重ねた、ある日。
フライドポテトに目覚める。
小学生の時、いつも食べたかったけど、あんまり食べさせて貰えなかったやつだ。
大人になって、お金が無いからと、しぶしぶハンバーガー屋さんに行って食べたやつだ。
東京で、稀少なシングルモルトを探求した日々もあったけど、「一周回って。」。
フライドポテトとメガジョッキの生ビール。
ディナーは予約が当たり前の東京で、とりあえずフラッと空いてる立ち飲み屋。
そんな生活が、今は幸せでたまらない。
最上級のシャトーブリアンも、一切れでまあまあ満足出来るようになった頃。
人それぞれ、思いもそれぞれ、人生いろんな周り方があるのだろうけど。
いったん、何度目かの「一周回って。」今日この頃。
お世話になったご夫婦が、また肩を並べて歩く頃。