【氷屋です】
【氷屋です】
日曜日の朝9時過ぎにかける電話に出る応答。
「はい、氷屋です。」
日曜日の朝から電話に出るのであれば、いつ休んでいるのか。これが街の商売人の昔ながらの姿なのだろうか。
店名や固有の名詞を語らずに、ただ「職」を語る「氷屋」さん。
これは、自信なのか、覚悟なのか、いや、生き方なのか。と、言及するのは少し大袈裟だろうか。
少し余談だが、近畿地方のある有名大学に電話をかけると、「はい、大学です。」と言って電話に出られるとの事。
これは、あくまでプライドなのでは無いかと。
他に大学と名乗るところはありますが、ウチこそが「大学」ですと、言わんばかりだ。
それ界隈の歴史や誇り、所以は詳しく私は知らないが、そんな話を「東京」の「大学」を卒業の方に聞いた事がある。
「氷屋」に関しては少し印象が違っていて、これはプライドではなく、「謙虚さ」では無いかと想像する。
【氷を売るという事】
あくまで、1人のバーテンダーとしての意見であり、私は実際に氷を売った事はないのだか、「氷を売る」という事は、少し普通の商いとは違う。
氷屋さんは、まず基本的に「氷」しか売っていないので、競合他社との商品力での競争が出来ない。
新商品の開発と言うものが非常に難しい。
日本の「氷屋」さんの「氷」は、実はとても質が高く、気泡の入っていない完璧な「クリスタル・クリア・アイス」だ。
カッコつけて英語で言ってみたが、つまり「透明」という事で。
これは、家庭で作るのは非常に難しい。
が、しかし、全ての氷屋さんの氷が同じ高品質な「透明」なので、そういう意味で言うと、これは氷屋さんの「普通の氷」なのだ。
特にコロナでBARの多くが夜営業出来なくなった頃、氷の発注が激減した。
氷を売りたくても、氷屋さんの氷をメインに使う「お得意様」のBARが店を開けられないのだから売りようが無い。かき氷屋さんに卸したって、季節は限られる。
休んでいる飲食店は協力金を貰えていたからまだマシなものの、氷屋さんは売上が1/10になりながらも当初何のの支援も得られない。
何とか私のお店でも、営業はまともに出来ないが、私がお客様向けに割った氷を売って、少しでも氷屋さんに貢献できないかと奮闘するも大した事は結局出来なかった。
【変わらない事】
通常の氷屋さんの業務は基本的に「配達」だ。
既存の顧客から前の晩に留守番に入った個数(単位は貫目が基本)を配達する。
一貫3.75キロの氷の価格は数百円だ。
それを個々のお店に、二貫とか、三貫とかを運んでいく。トラック一杯に氷を乗せて毎日朝から配達して回る。これは数と時間の戦い。
夏の氷は溶けやすい。
冬は氷が売れにくい。
氷屋さんごとに抱えるエリアや規模は分からないが、相当な数の氷を運ばないと商売にはならないし、基本的に一般の人達はお客様にはならない。
そして、街の店の数がそんなに激増しない様に、顧客だってそんなに増えたりはしないはず。
日本のBARの「透明な氷」は海外では非常に珍しく質の高いものだと聞く。
英語で言うところの、「ハイクオリティ・クリスタル・クリア・アイス」は、いつの頃から有ったのだろうか。
いつか面白いエピソードに出会えたらここで書きたいと思うが、昔から今も変わらずに、競合他社と同じものを売る商売。
つまりそれは「氷」という商品だけでなく、「氷屋」さんのスタンスを売る、手際を
売る、サービスを売るという事。
それが氷屋的「商い」であり、一種独特のもの。
「氷屋です。」の一言に、私の感じた印象とその意味がそれなのだと思う。