【パン屋の扉はゆっくり閉まる】

【幸せの扉】

パン屋さんの扉は、いつもゆっくりと閉まる。

幸せな、その、なんとも言えない薫り。

小麦や、バターや、たまごが混ざって、それかオーブンで焼き上げられた薫り。または、焼く前の生地の香り。

イーストの発酵した香り。

どんなに生活が豊かになっても、こういう原体験的、人間の本能的な感覚は変わらない。長い人類の営みに染み込んだ日常。

パン屋さんはこの薫りを、ずっと近くで嗅いでいたいから、パン屋さんになったのだろうと、私は小学生の時に直感した。

発酵にかかる時間や、焼き上げる時間。丁寧にオーブンから取り出される、そのパン達の為に、パン屋さんは夜中に起きて仕込みをする。

朝食に焼きたてを届ける為に。

または、パン屋さんは朝方に動き出して、昼ご飯に備えてパンを焼く。

この薫りは幸せの象徴だ。

その薫りは店の中を満たし、軒の先まで漂う。

そして今日も、パン屋さんの扉はゆっくりと閉まる。

【パン屋さんの扉】

パンの歴史は長く、いつも人類と共にあった。そして今もそれは世界中で欠かす事の出来ない人類の命の為の灯(ともしび)だ。

保存もきくし、どんな食べ物とも合わせても相性はいい。長きに渡り、そして今もなお、人々の食卓に彩りを与えてきた大切なパン達。いつも、当たり前の様に生活の傍らにある物。暖かい部屋や、ふかふかのベッドと共に。

パンが人類と共に歴史を刻み出した時よりは、人の生活は便利に、豊かになったかも知れない。今も国や地域によって、その文化的な生活の定義は違うだろうけれど、本来は人類の営みには当たり前のように、穏やかな平和があるはずで、そこには共に糧となるパンが欠かせない。いや、そうあって欲しいと願う人類の想いなのかも知れないけれど。

平和と共に生活の糧があるのなら、「争いの扉」は開かない。誰もそこから侵略してくる事はない。

ゆっくりと閉まるパン屋さんの扉を、ゆっくりと押し開けて中に入る。漂う薫りと生きた心地。ゆっくりと扉が閉まる。

ここは争いとは裏側の世界だ。

平和で穏やかな時が、こんがりと焼けた小麦の薫りと共に広がる。

店を出るとまた、いつもの様に、パン屋さんの扉はゆっくりと閉まる。

どうしてか、私の周りにはそんなお店が多い気がする。

【平和への扉】

数年前まで、「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれ、世界の小麦輸出量の約3割を占めるその生産力で、世界中の食卓に幸せの薫りを届けて来たウクライナの農村。

遠くの地から、その幸せの小麦を世界に届けて来た国。

その平和な営みは、2022年2月に突然壊された。今現在も続くロシアの侵略に、世界は希望を失いかけている。

それでも、避難民の少女は言う。「私の夢は、故郷に帰って、もう一度、友達と学校に通うこと」だと。

農家の方は、「戦争が終わったら、必ず戻って種を蒔くんです」と語る。その言葉に生きて行こうとする力強さと希望をを見る。

理不尽な争いの繰り返しの様なこの世界で、それでも人々が求めるものは間違いなく、平和な世の中なのに、どうしてもうまくいかない。どこかで争いの火種が黒煙となり、立ち昇る。

「パンを焼く音と薫りは、人々に希望を与えるんです」と語るパン職人もまた、避難を強いられている。そんな避難施設にこそ暖かいパンを届ける時だ。

私は、この戦争が始まった事で、ウクライナという国には豊かな土地があり、世界に小麦を届けていると知った。しかし今パン屋さんには、そのウクライナからの小麦は届いていないのだろう。

私達はそんなウクライナに何を届ける事ができるだろう。

ゆっくりと時間をかけて育まれて来た肥沃な土地に種を植え、手入れをし、丁寧に収穫されて世界に届けられて来たその豊かさと、そこにあった当たり前の幸せを、あったその場所に戻さなくてはいけない。

と願って。

パン屋さんの扉がいつもゆっくり閉まるのは、少しでもこの穏やかな平和と幸せに満ちた空間を、その店を出るお客の為に少しでも長く共有できるようにとの心遣いなのかも知れない。

もしかしたら、それは、ただ私の希望なのだろう。

人々がこれからも、当たり前の様にそこにあるものとしての「平和」を共有して行ける様に。

それは、ただ私の願いなのだろう。

最近パン屋さんに行く度に、私はウクライナの事を思い出す。何も出来ない自分がまだ諦めたくないと時間を稼ぐ。扉をゆっくりと閉めていたのは無意識な私なのかも知れない。

「平和への扉」は、まだ閉じてはいない。

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