【職人にふれ】
【職人にふれ】
「その日の気温や、湿度によって、僅かに変わる仕上がりを、経験と技術で整えていく。」
町工場の「職人」からそう聞いた事がある。
え?こんな硬いものを曲げるのに?
専用の機械を使うのに?
再現性、生産性。効率、ビジネスを重視すると、
本来「スイッチ」1つで同じものを沢山、安く、作りたい。
「マティーニ」を作る時、ミキシンググラスと言われる大きめのガラスの器を冷凍庫から取り出す。
すぐに表面が凍りつく。
空気中の水分がくっ付いて凍るのだ。
常温のグラスを置いても、くっつく事はない。ここには温度の差が大きく影響している。
同じように冷凍庫から取り出した「ジン」を注ぐ。
ボトルの口から流れ落ちる間に、また空気に触れる液面に、どんどんと空気中の目に見えない水分が降りそそぎ、吸い込まれてゆく。
これは時に、「マティーニ」を「丸く」するが、下手をすると、すぐに「水っぽさ」に変わってしまう。
そうならない様にするのは、「手際」と「想像力」。
「習うより慣れろ」と言う。
習った事を反芻し、可能な限りその通りに繰り返す。
はじめにこうして、、
次にこうする、、
最後に、、
よし、完成だ!!
師匠は言う、「顔がない」と。
その一杯を作るとき、手順など考えてはいけない。
そこには、少なくとも「私の思う一杯」があり、それを想像して、指先がその完成の為に自然に動く。
そんな一杯が作れたとき、師匠は深く頷いてくれるはず。
【親方】
「職人」を広辞苑で引くと、
①手先の技術によって物を製作することを職業とする人。大工・左官・指物さしもの師など。
②中世の手工業組織であるギルド・座などで、親方の下で生産に従事した雇人。
最後の親方の下で生産に従事した雇人という言葉が気になった。
昔地元の左官屋の友人のうちに遊びに行くと、お父さんは「親方」そこで働く人達は「職人」と呼ばれていた。
世襲の多い職人気質の世界では、親から事、子供から孫へと引き継がれる事もある。
日本の伝統芸能にも似た感覚もある。
1人で店をやる私は、「職人」であり「親方」であり、世間的には「見習い」でもある。
大御所の「職人」ほど、まだ道の途中と言い、それはまだ人から見て学ぶ事がある事を意味している。
それでも「職人」は、やがて独立や代替りで、その屋号の「顔」となり、「親方」と言われる。
「継承」は、「承継」と同義であり、繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、引き継がれて、
「継承継承継承継承継承継承継承継承継、、、、」
まるで「絆で出来た鎖」の様につらなる。
【親父】
「父の背中を見て育つ」と言う言葉がある。
私にも、父親がいて、同時に今は父親でもある。
父の背中を、、と言うが、若い頃はどれ程、父と喧嘩をした事か。そして息子も私を好いてはいても、私から習おうとしない。
やがて実家を離れ、東京に来て「バーテンダー」の道を引き続き進んでいく。
その道の途中で、「兄貴」や「親父」と呼べる存在を求める。
がむしゃらに働いて、働いて、後輩から
「兄貴」なんて呼ばれる様になった頃に、実家の親父の事を思い出す。
あの頃、反発ばかりしていた理由は、1番身近な同姓に認めてほしかったのかも知れない。
見ていたのは、『自立をしたくてもがく息子の背中を見る父』だったのかも知れない。
つい先日、お酒の提供が解禁されて、訪れた親子は、私の父よりは若い「親方」で、息子は私よりも若い「職人のたまご」だった。
お酒を交えたそんな2人のやり取りを見ていたら、ふと我が事を思い出して、重ねてしまった。
ちちと、息子は、似ていてやっぱり
ちがう。
ときに、
むすこは、父と競い、
すこしでも、その先へと
こえて行きたいともがく。